続けていくために必要なことはほんのちょっとの共感と支援なのかもしれない
ろくな味方もいないまま、黙々と自分が思うことを貫いてやり遂げてしまう人もいますが、大抵の人はそこまでメンタルが強くありません。同士がいること、というのはやはり重要なファクターで、それがないことによる諦めやら、賛同が得られない状態で自信がなくなるやら、そんな理由で継続できなかったりします。それでやめてしまうんだったらそれまでの人と言ってしまう、マッチョな世界は嫌いです。
その人が同士を得てもう少し続けていけば、世界が変わったかも知れない、世界と言わないまでも、半径5メートルくらいは変わったかも知れない。その可能性について言及しないまま、本人のメンタルの強さに全てを押し付けてしまうのは、行きすぎた自己責任論のようで、気持ち悪いです。
今の自分が成り立ってる、前職在籍時よりモチベーションを高くできている理由はそこにあります。同士になってくれる人がたくさんいる。だから、自分一人ではやり切る自信がないような改革でも、まず始めることができる。
でね、ある程度自分が思う正しいことができるようになってくると、自分のまわりでもそうあって欲しいと思うようになるわけです。何か始めようとする人の同士になりたいし、何か始めた人の二番目になってあげたい。そういう人がいることがいやすさに繋がるんじゃないかなあ、と。
今更そんなことやってんの?と周りから思われるようなことでも構わないじゃないですか。
歩き出した 誰かの日々を 笑う奴等 風に消えろ
THE BACK HORNの「涙がこぼれたら」の一節です。自分が「風に消える」立場なのかどうかはよーく考えて笑いましょうね。
自分?自分にはビジョンがないからいいです。
こないだから始めた社内ポエムに追従するに当たって思ったこと。以上、雑すぎポエムの現場からお送りしました。