プロフェッショナルの条件
プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))
- 作者: P・F.ドラッカー,Peter F. Drucker,上田惇生
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2000/07
- メディア: 単行本
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奥が深い題材を選んでしまいました。後悔しています。
普段、フィードバックするために再読する時はマインドマップを用いて内容を整理しているのですが、枝が収集つかなくなる寸前まで広がりました。文章に起こすのも大変です。
そもそも、去年までの私であれば、この手の本はまず読まなかったのです。そのスタンスが変わったのは、仕事の質が変わってきたからに他なりません。自分に割り振られた仕事をしていれば良いのではなく、チームを動かしながら仕事をする必要が出てきたという変化故です。
あくまでも、今の私で理解が追いついた内容について語っていますので、その辺りはご了承ください。間違っている箇所などありましたら、ご指摘いただけると幸いです。
構成
本書は、以下の構成となっています。
- いま世界に何が起こっているか
- ポスト資本主義社会への転換
- 新しい社会の主役は誰か
- 働くことの意味が変わった
- 生産性をいかにして高めるか
- なぜ成果が上がらないのか
- 貢献を重視する
- 自らをマネジメントする
- 私の人生を変えた七つの経験
- 自らの強みを知る
- 時間を管理する
- もっとも重要なことに集中せよ
- 意思決定のための基礎知識
- 意思決定の秘訣
- 優れたコミュニケーション
- 情報と組織
- 仕事としてのリーダーシップ
- 人の強みを活かす
- イノベーションの原理と方法
- 自己実現への挑戦
- 人生をマネジメントする
- "教育ある人間"が社会を作る
- 何によって覚えられたいか
いずれの章においても、実例を交えながら論じています。
副題が「初めて読むドラッカー」なので、位置づけは入門書なのですが、「サルでもわかる」類の者ではありません。そこだけは要注意ですね。
知的労働者とは
専門知識を持って組織に対して成果によって貢献する労働者で、今の社会の中心的存在です。我々エンジニアはその専門性の高さから言って、知的労働者という解釈で間違いないと思います。
当然、知識労働者である限りは成果を上げることを求められますが、労働者は生産性が上がらない以下のような環境に置かれていると主張します。
- 時間が人(電話なども)にとられる
- 日常業務に追われる
- 組織で働いているということ
- 組織の内なる世界にいる
これらは、「人月の神話」や「ピープルウェア」でもプログラマの生産性を落とすことがらとして挙げられています。 やはり知識労働者はクリエイティビティを維持することが重要なことのようです。
また、成果によって貢献する者は、常に「どのような貢献ができるか?」という自問を続ける必要があります。やらなければならないことに忙殺されると、貢献するという視点がなくなりがちなので注意しようと思います。ただ、貢献の分野は以下のように幅広いです。
- 直接の成果
- 価値への取り組み
- 人材の育成
- 上記をあらゆる仕事に組み込む
このように幅広ければ、視野を広く持ち、自分の強みを認識していれば現時点で貢献できる分野は見極められるかと思います。
成果を上げるには
ドラッカーによれば、成果を上げている人は、以下のようなことを学んでいるということです。
- 目標やビジョンを持って行動する
- 神々が見ている
- 人々が見ている
- 一つのことに集中する
- 定期的に検証と反省を行う
- 新しい仕事が要求するものを考える
- 書き留めておく
- 何によって知られたいか
その他にも、自らの強みを知ることや時間を管理すること、仕事を整理することも挙げられています。
おもしろいには「弱みを克服」するよりも「強みを伸ばす」ことを重視している点です。組織にはいろいろな強みを持った人がいるので、弱みは打ち消しあえる、と言うことでしょう。弱みに配慮した人事は平凡になるとまで書いているほどですから。
ただし、自分の強みを認識するというのは案外難しいような気がしています。できないことを認識するのは簡単なのですが……。これは私が日本人だからなのでしょうか?
ドラッカーに対する誤解
ドラッカーを読んでみようと思ったきっかけは、やはり「もしドラ」な訳ですが、これを読むまでドラッカーに対して大きな誤解をしていました。主にマネジメントという言葉についての誤解です。
「もしドラ」が情熱的に書かれているせいもありますが、そこで語られるドラッカーの理論もまた情熱的で、私の意識を変えるには充分なインパクトを持つものでした。
(フィードバックは「もしドラ」にしておけば良かったと今思いました)
これは世界史の教科書でしか知らなかったニーチェの「永劫回帰」という概念を理解した時の感動に似ています。ニヒリズムという言葉とは似つかわしくない生に対する情熱を感じ取る事ができた時と同じような感動だったのです。